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旅のコラム

田中駅長の「旅の考現学」
文:田中 嘉文


連載第3回「古き昔のこぼれ話」



少々硬いお話が2回続きましたので、今回は古き昔のこぼれ話をご披露しましょう。

日本人海外旅行が自由化されて間もない昭和47頃のお話です。
自由化されたといっても、1年間の海外旅行者数はせいぜい数万人規模で、「夢の海外旅行」といわれていました。

パックツアーに参加すると航空会社の大きなロゴが入ったショルダーバッグがサービスされましたが、そのバッグを持っていることが一つのステータス・シンボルになっていました。現代のルイヴィトンよりはるかに値打ちものだったのです。それでも、この昭和47年に、途方もない巨人機・ジャンボジェットが羽田空港への乗り入れを始め、これを機に団体航空運賃が大幅に値下がりして、少しずつ夢をかなえるチャンスが膨らんできました。

当時20代半ばだった筆者は、大手の旅行会社の社員で、週に一度は羽田空港でツアーの出発手続き業務(センディングといいます)を行っていました。

或る日の夕方、ハワイ・ツアーの集合時間を過ぎても男性客一人が現れません。館内放送で呼び出してもらったり、スタッフで手分けして空港ビル内を探しましたが、それらしい人物は見つかりません。そこで北関東のお宅に電話で確かめますと、「今朝まだ暗いうちに出かけました。まっすぐ集合場所に行くと言って出ました。」という奥様の答えです。とっくに羽田空港についているはずです。

とうとう航空会社の職員が「もう締め切りますよ。」と最後通告をしてきたその時です。
空港ビル玄関にタクシーが急停車し、中年男性が飛び出してきました。待ちに待ったその人でした。書類の整理を始めていた航空会社職員を説得して大急ぎで搭乗手続きを済ませ、私も一緒に出発ゲートに走りました。飛行機に預けることのできなかった重いトランクを引っ張りながら、私は男性に強い口調で尋ねました。(私も相当カッカしていましたから)

「お客さん、いったい今までどこで何をしていたんですか!?」

男性は汗ビッショリの顔を真っ赤にして走りながら、こう答えました。

「昼前に東京駅にちゃんと着いてたんだヨ! 映画を見てデパートを回って時間つぶして、ようやく時間になったから集合場所を探したんだけど、見つからないんだよ。駅ビルの中をアチコチ歩き回ったがどうしても見つからん。時間はなくなるし、しょうがないから東京駅の駅員に聞いたんだよ。オレはハワイに行くんだけど、飛行機は何番線から出るんだ?って!!」

これホントの話ですよ。今では信じられないようなエピソードが当時は毎日のように起きていました。

次回は、とてもお気の毒な、しかし何かほのぼのとしたお年寄り夫婦のエピソードをご紹介します。





次回更新は4月初旬の予定です



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