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文:吉田公平
第二十一回
「見て聞いて歌う」
もと見るとは目で見ることであったから、さえぎる物があったら、その向こうは見えなかった。
もと聞くとは耳で聞くことであったから、音が届かない遠くに居たら、聞くことはできなかった。
もと歌うとは自前の音感を頼りにしたから、誰もが作曲家であった。
当節、いま、そこに、いないひとの姿を見、声を聞き、メロディーを繰り返し歌う。時空の制約が無くなった分、いつまでも侵略される。
それはことさら努力しなくとも容易に受容できるし、とにかく楽しい。機器の発達は産業社会を激変させているが、私生活をも大きく変えた。便利さをもたらしたことは疑問の余地はない。
しかし、気になることがある。
今は、「読んで・考えて・書く」という文化が衰退していないか。
たしかに「見て・聞いて・歌う」文化が人に喜びをもたらしている。
「読んで・考えて・書く」文化は、いま、ここで起こっている現象を超えて、歴史的由来や本質的な意味を考えさせ、その理解を明晰にさせる。
「見て・聞いて・歌う」文化が横行し、「読んで・考えて・書く」文化がわきに押しやられると、一個人としての生きる力、ひいては社会の総合力が弱くなりはしないか。
いまは便利さと利益を求めて狂奔している。その代償はあまりにも大きい。
機器の進歩は人間の退歩を促す。その典型であろうか。
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