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文:吉田公平
第七回
「生と死」
門人の子路が死について質問すると、孔子は「生きることさえまだわからないのに、死ぬことがわかろうか」と答えた(『論語』先進篇)。
わたしたちは、他人が死ぬその場に立ち会うことはできる。そして誰もが自分もまた、いづれは死ぬことを知っている。しかし、生きているわたしは自分の死を、生きている間に経験することはできない。自分が死んだらどうなるかは、他人の死をみつめることにより、類推するしかない。
生物の場合、死んでしまうと、その身体は腐乱する。人間も生物であるから、死んでしまったら肉体は腐乱する。他の動物と全く同じであるなら、死ぬということ、死んだ後にどうなるかは、あらためて問うまでもない。
何もかも無くなる。そのことを端的に宣言したのは禅宗である。
「無」と。
孔子はそこまでは断言しない。本当に分からなかったのであろう。ましてや死後の自分がどうなるのかはわからない。
この孔子の短い言葉は我々に生死について様々なことを連想させるが、わからない死についてあれこれ考えるよりも、生きていると事実をみすえて如何に生きるかについてこそ、関心を集中せよというのが、孔子の主意であろうか。
味わい深い歳言である。
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