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文:黒田 長美
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今を去ること61年前の1月元旦の宮中参賀の事をお話し致しましょう。
ご存知の事と思いますが、当時学習院中等科1、2年生の華族の子弟が皇后陛下以下各宮家の妃殿下のお召しになるロープデコルテのお裾持ち(正式にはお裾奉持)をする習慣があり、私も2年の時に20名位の同窓生と一緒に参内しました。
1941年。元号で言えば昭和17年。前年の暮に太平洋戦争が勃発したばかりでしたので、恐らくこの慣習も最后だったのではないでしょうか……。
ともかく13〜14才の子供共が良く言えば小公子のような、紺色のビロードに白いポンポンのついたレース衿の服、白の長靴下、エナメル靴。腰には金の飾りのついたサーベル(昔先輩の悪ガキがチャンバラをして怪我をしたとの事で抜けない)を下げ、宮中大広間(何と言う名前の部屋か忘れました。勿論、その後の空襲で焼失)にて昭和天皇、皇后両陛下を中心に右側に各殿下、左側に妃殿下(その後ろに我々が立つ)が居並ぶ中、午前中何時間か立ったまま国内外の高官の参賀を受けるのです。第一番に東条英機首相が入場して来たのをはっきり覚えています。
ところでその大広間までの長いカーペット敷の廊下を入退場の折に皇后陛下には4名、各妃殿下には2名が従って、さすが普段のヤンチャ坊主共もリハーサル無しの本番と言うことで、無駄口を聞くこと無く静々と歩を進めた訳ですが、戦時色が濃くなって贅沢は敵と言う事で、ロープデコルテのお裾は皇后陛下が一寸あるだけで各妃殿下は全く無しでお裾奉持とは名ばかりでした。
皇后陛下のも持ち上げる事も出来ず、これが仇となってお裾の上に乗ってしまった男(松平忠貞さん)が居て、しばし、歩を止められた一幕もありました。
まァそんな訳で一月元旦の午前中だけの奉仕も終わりご苦労様と言う事で宮内省の一室で昼食と言う事になりましたが、さて何を頂いたのか誰に聞いても定かに覚えていませんが、多分宮中のお祝事には必ず出される雉酒が子供には飲ませられないので雉肉がおすましの中に入ったお汁と五目ご飯(かやく飯)、主菜は何だか判りませんが、いわゆるおせちではなかったような気がします。(戦時中だったからかも知れませんが……)
ともかく感激した程の食べ物ではなかった様ですが、お土産と言うか記念と言うか、アルバイト料なのか各自に蓋裏に「賜」の字が刻印されたSEIKO舎製の懐中時計を頂き、(後年官立大の優等生に賜る恩賜の金時計だと偽って居る奴も居ました。これはニッケル製)これは大切にして居ます。
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