編:瀬川昌昭
第七回
「普遍的心理まで捨て去ってしまった日本人」
日本人にとってのWHYとHOW、 糸川博士はこの命題の中で科学する心の大切さを説いた。
WHYとは、一言で言えば「科学する心」である。博士にとって科学とは、物理・数学・化学等理系の領域を指すのではなく、宗教・哲学・歴史など、自然科学と人文科学の両面からなる普遍的真理を意味していた。
日本人及び日本国家の原点として心の大切さを説きつづけた糸川博士の著述には、むしろ人間のモラルに関する記述が多くを占めていた。
特に1990年、氏が「日本の特異点」と断定した年に発刊された『日本創成論』では、紙面の大半が心の問題に費やされている。修身と言う言葉には今も拒絶反応を示す日本人が多いが、現状を見るとき、糸川博士のように修身の必要を説く勇気ある心が求められているのではないだろうか。
普遍的真理まで捨て去ってしまった日本人
『高等小学修身書』は、「家庭における心得」「社会における心得」「個人としての心得」の三部からなっているが、以下、「社会における心得」からいくつかの文章を引用してみよう。
「世には、生まれながらにして、不具なる人がおり、不幸な境遇にある人がいる。病気、または災厄のために、不幸に陥っている人がいる。これらの人に対して、慈善をほどこすのは、人としてのつとめである」
「人の身体、財産、自由、名誉を重んじ、恩を忘れず、約束をやぶらないといったことは、正義である。度量を大きくし、親切をつくし、慈善をほどこすといったことは、仁慈である。正義と仁慈とは二つとも大切なものであって、これをかねそなえていなければ、徳において完全な人とはいえない」
「自己の名誉を重んずるのと同様に、他人の名誉を傷つけないよう注意しなければならない。他人の名誉を傷つけるのは、嫉妬心、党派心、競争心、復讐の念などから発することが少なくない。したがって、常にこれらの私情に打ち勝つようにしなければならない」
「社会が盛んになるのも、衰えるのも、その中に生活する人々の心得いかんによる。だから、何人も社会の進歩をはかるよう心がけなければならない」
「内国人(日本人)に対して守るべき心得は、外国人に対しても同様に守らなければならないが、そのほかにもなお心得ておくべきことがある。外国人と交わるときは、言語・挙動を慎み、日本人としての品位を傷つけないよう心がけなければならない。外国人に対して、不作法な言行をなすのは、日本人の品位を傷つけるだけでなく、国家の名誉をけがすものである。わが国に来る外国人は、多くはわが囲の言語、風俗に慣れていないから、親切に応対しなければならない」
そのほか、「他人の身体生命、財産は重んじなければならない」「社会の安寧秩序を妨げないかぎりにおいて、何人も行動の自由を有する」「他人と思想を異にすることがあっても、その人に対して、決して思想の自由をさまたげるようなことがあってはならない」といった、現憲法の一つの柱である基本的人権の尊重も、この教科書には明記してある。
一九四五年(昭和二十年)の敗戦とともに、日本人は改めるべきものと残すべきものの仕分けをすることなく、それまでの価値観をすべて否定してしまった。人間の生存にとっては欠かすことのできない普遍的価値観まで捨て去ってしまった結果が、今日のありさまである。
『日本創成論』(1990年、講談社)第七章:拝金主義との決別
普遍的真理まで捨て去ってしまった日本人(245P〜247P)
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